東京大学入学式の祝辞が何かと話題です
以前から書きかけだったこの記事を、これはタイムリーとばかりに書き上げました
やっぱり、そう、ですよね?
と思ったからです
2019年東京大学入学式祝辞を見たか
SNSでも話題だったらしいですが、上野千鶴子氏の祝辞のことは先日、日曜夜のTV『Mr.サンデー』の特集で初めて知りました
記事を書くにあたって全文を読みました
「祝辞でこれを言って良かったの?」と思う部分もありましたが、かねてより男女の不平等さを感じていたので共感する部分がたくさんありました
東京大学の入学式が注目されたこと
男女不平等、人間の不平等を言い切ったこと
一石を投じられたことには、間違いないです
※ご本人はそんな大層なことでなく当たり前のことを言われたのだと思いますが
男女不平等を感じる瞬間はありますか?
別問題ですが、働き方改革が叫ばれる昨今ですが、なかなか改革していませんよね?
女性の社会進出が叫ばれても久しく、女性管理職をもっと増やそうというニュースもありましたが…
世間の会社はどうでしょうか?
働き方方改革が進んでいたり女性管理職がきちんと増えている会社は、大手だけという気がしています。もしくは外資系企業
日本の中小企業だと男尊女卑のイメージがやはり強いです
自分の会社も、例にもれず
自分が働く会社も、完全なる男尊女卑です
男女比は意識した事ないですが、役員には女性はもちろんいませんし、役職も女性最高は副部長まで
出世のスピードも、もちろん男性の方がホントに早いです
特に事務系苦手男性や普段はフォローされている男性がスルスルとあがっていったりします
極めつけは、育休とった女性社員は役職についてないという…
ある意味、ちょっとヤバくないか?と思っています
10年以上いますが、何を間違えたか一度だけBenesseを辞めて入社した方がいました(東京の方ですが)
そんな女性が輝けそうな会社からウチで大丈夫!?(そうでもないのかな?)
と思っていたら速攻いなくなっていました
※いつの間に?というレベルでした
男尊女卑は根深い問題
この機会に男尊女卑の歴史を調べてみようといろいろ見ていると、江戸時代からとされるものをいくつか目にしましたが
そんなことないでしょう?
『土佐日記』の始まり
男もすなる日記を女もしてみんとてするなり
これを勉強した時から、それとなく男尊女卑のニュアンスを感じていたのは、わたしだけ?
男の書く日記を女だけどしてみる、とは
女は普通しないんだけど、という意味ではないのだろうか?
しかも、それを本当は男である紀貫之が書いているのだから、そう感じたのを遠い記憶として持っています
そもそも昔の歌で男性は名前があっても、女性は誰々の妻とか誰々の娘とか名前を名乗っていないものも、ありましたよね?
これを勉強した中学生のころ”女って昔は名乗れないほどなんか身分が低いのね”という印象を持っていました
ひいては一緒に勉強した現在50代男子も”女ってそうなんだ”という事を思うきっかけになったと思っています
そういう小さな事から意識に根づいていくのでは?と思います
なので奈良時代からはその意識はあったと言う説を支持しています
まとめ
日本の男尊女卑は歴史的に見てもとてもとても根深いもので、一朝一夕にどうにかなるものではないとなんとなく感じるところでしょう
古きを重んじる日本の気質も関係しているのか?
はたまた社会の仕組みに、もうその意識が組み込まれているのか?
今回の東大入学式祝辞の件は、うちの会社のエライさんたちは、どう思っているのか気になっています
最近いい大学出身の人をとりたがる権威好きの人たちだから、東大入学式で提起されたこの問題は話題にのぼるはずです
そう考えると上野千鶴子氏の今回のこの場所でのこの発言、計算されていたのでしょうか?
最初に自分も「祝辞としてはどうなのかなぁ?」と思った意識こそ
自分だって何かに毒されてるのかもしれないと感じた問題でした
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